2月18日、今日の京都市左京区は、朝のうち雪のち曇り時々晴れちらちらと雪。
風の冷たい一日でした。
京都ではないのですが、
知り合いがやっているカフェにある「古い柱時計」には、こんな文字が刻印されています。
「OCCUPIED JAPAN」
オキュパイド・ジャパン(Occupied Japan)とは、
第2次大戦後の「占領下日本」のこと。
日本が連合国軍の占領下にあったのは、
敗戦後1945年(昭和20年)から1952年(昭和27年)の7年間です。
敗戦の2年後に民間貿易が正常化された際、
日本からの輸出品には「MADE IN OCCUPIED JAPAN」の刻印を付けるように
GHQ(連合国最高司令官総司令部)から命じられたのです。
北米を中心に、陶磁器・装飾品・おもちゃ・布製品・衣類・カメラ・ミシン・日用品など
さまざまなものが輸出されましたが、
特に、焼き物の人形のような置物が沢山作られました。
戦前から日本の陶磁器は世界に通用する最高級品だったので、
これらが外貨を稼いで復興の礎になりました。
また、衣類やおもちゃも多く輸出されていました。
戦後は物資が不足していたので、品質が悪いものもありましたが、
中には精巧に作られたブリキのおもちゃもありました。
1949年(昭和24年)には、「オキュパイド・ジャパン」の表示は義務ではなくなり、
「メイド・イン・ジャパン」での輸出が可能になりましたが、
新しく金型を変えなければいけないため、そのままの表記で輸出され続けた商品も多かったようです。
「占領下の日本」なんて言葉は、日本人にとっては屈辱的な表記ですが、
時代背景を滲ませる刻印には、歴史を感じます。
1947年(昭和22年)から1952年(昭和27年)の5年間に輸出された日本製品。
5年間だけの期間限定アイテムのこれらの品々は、希少価値があるため、
コレクターたちによる収集の対象になっていて、北米を中心に大変人気があるそうです。
もちろん日本の専門コレクターも多いのですが、
だだ、輸出品なので、国内にはそれらの商品が少ないため、
わざわざ海外から取り寄せている方も多いそうです。
この逆輸入のオキュパイド・ジャパン製品は、
ファンの間では「里帰り品」と呼ばれているそうです。
終戦後の厳しい状況の中、
日本人はものづくりから、生活と誇りを取り戻しました。
当時の人々の様々な感情、エネルギー、熱意のこもった里帰り品たち。
『・・・おかえりなさい・・・(u_u) 』
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