名 称:新撰組発祥の地跡(しんせんぐみはっしょうのち)
文久3年春、将軍家茂の上洛警護のため、
清河八郎率いる浪士組が入洛したが、
その宿舎の1つとして使われたのが、
当時壬生郷の郷士宅であった当屋敷であった。
浪士組は、在京20日余りで再び江戸に戻ったが、
当所に分宿していた、芹沢鴨、新見錦、近藤勇、土方歳三らは、
引き続き京都の警備のため残留し、
京都守護職松平容保の支配に属して「新撰組」と名のった。
新撰組は、当屋敷に「新撰組宿所」の標札を掲げ、
隊員はわずか10数名で発足したが、次第に隊員が増加し、
付近の農家にも分宿した。
以後、市中の治安維持に努め、
元治元年の池田屋事件で一躍その名を轟かせた。
翌年の慶応元年4月、屯所は西本願寺に移されました。