12月10日、今日の京都市左京区は晴れ。
日没近い4時ごろ、ピーヒョロヒョロという鳴き声がどこからか聞こえてくるので振り向くと、
木の枝に9羽のトンビが止まっていました。
トンビは、繁殖期以外には群れで生息地近くの見晴らしの良い高木などを寝ぐらにする事が多いと聞きますが、
この木が寝ぐらなのでしょうか?
寝ぐら(おうち)に帰る5人の小学生とすれ違いました。
みんな手に手に「けん玉」を持っていました。
おぉ懐かしい。
私は小学1年生の時にマイけん玉を買ってもらいました。
少し重めの赤い玉。
垂らした玉をクルルっと回転させてヒモをキリリと真っ直ぐにすると
かなりの確率で先っぽに挿せて嬉しかったのを覚えています。
うちの子も持っていましたが、
けん玉といえば「昭和」のイメージ、昔のおもちゃって感じが強いです。
でもこのけん玉、日本生まれではなく、
フランス説、ギリシャ説、中国説などがあり、確かなことはわかっていないそうです。
中国では竹で出来た二つの部品を紐で繋いだ遊びが三国志時代にもあったようです。
メキシコにもそれに似た木の玩具がありました。
アフリカでは象牙等を繋げて子供達が遊んでいたと言います。
16世紀のフランスでは、ビルボケと呼ばれる今のけん玉に近いモノが流通していたようです。
日本の古い文献でけん玉が登場するのは、
義浪編『拳会角力図会(けんさらえすまいずえ)』(1809年)。
木酒器玉(こっぷだま)の図と共に遊び方が記されています。
硬めの木で作った少し長い形のコップに長い紐を付け、
そのはしに同じ木で造った玉を結び付け、
双方交代で5回中1回か3回中1回、玉をコップにすくい入れて勝ち負けを競うとあり、
すくい損じた方に酒を呑ませる酒席での大人の遊び道具だったようです。
喜多村信節(きたむらのぶよ)著『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(1830年)では、
けん玉は“拳玉”と記されていて、
「猪口の形をして柄あるものなり。それに糸を付けて先に玉を結びたり。
鹿角にて造る其玉を投げて猪口の如きものの凹にうけ、
さかしまに返して細きかたにとどむるなり。若し受け得ざる者に酒を飲ましむ。」と説明されています。
どちらにしても現代のけん玉に比べると単純な遊び方で、
安永6、7年(1777、8年)頃に出て来たとあり、
当時、国内唯一の開港地であった長崎から広まったものと考えられます。
明治に入り、けん玉は酒席での遊びから一転、
子どもの遊び道具として捉えられるようになりました。
今のような形になったのは大正時代。
「日月ボール」といって、玉を太陽(日)に、浅い皿を三日月に見たてて、
これが昭和初期に大ブームとなり、けん玉として子供達の定番おもちゃとなりました。
このように進化してきた日本のけん玉は、マイナーチェンジを繰り返し、
今じゃ“KENDAMA “という名で、ストリートスポーツとして、世界で人気沸騰中とのこと。
カラフルでお洒落なKENDAMA も多く販売されています。
小学1年生のあの頃から何の技術も向上しなかった私だけど・・・
何歳になっても出来そうなので
今一度マイけん玉を買おうかな♪(=´∀`)
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