名 称:宝筐院(ほうきょういん)
宝筐院は、京都市右京区にある寺院です。
室町幕府2代将軍・足利義詮と
南朝の忠臣・楠木正行の菩提寺です。
【 歴史 】
平安時代に白河天皇の勅願寺として建立され、
当初の寺名は善入寺と称した。
南北朝時代に夢窓国師の高弟・黙庵周諭が中興開山し、
黙庵に帰依した足利幕府二代将軍・足利義詮によって
観林寺と寺名を改められるが、ほどなく善入寺に戻された。
南朝の忠臣・楠木正行もまた黙庵に帰依しており、
彼が1348年に河内国北條で行われた四條畷の戦いにおいて
足利方の高師直・師泰兄弟と戦って敗北した後は、
黙庵によってその首級を寺の敷地内に手厚く葬られた。
その正行の敵である足利義詮は、正行の埋葬を知ると、
「自分の逝去後、かねており敬慕していた観林寺の
楠木正行の墓の傍らで眠らせてもらいたい」と遺言を
残したと言われ、1367年彼の死後ほどなく、
正行の墓の隣の墓に葬られました。
その後、
8代将軍・足利義政の代に、
その寺名は義詮の院号である宝筐院に改められたという。