Google よし、京都に行こう!: 4月 2014

2014年4月29日火曜日

京都市下京区|本覚寺(ほんかくじ)

本覚寺(ほんかくじ)

名 称:本覚寺(ほんかくじ)

本覚寺は、京都市下京区にある寺院です。

山号を佛性山(ぶっしょうざん)という浄土宗の寺、

開祖は團譽上人玉翁和尚。

寺伝によると初め西八条の遍照心院に源実朝の

後室坊門信子が貞応元年に創建したもので信子の

法名本覚を寺名にしたという。

応仁の乱のあとには細川政元により、

烏丸高辻あたりに再建されたが、

秀吉の命によりこの地に移りました。

2014年4月28日月曜日

京都市下京区|長講堂(ちょうこうどう)

長講堂(ちょうこうどう)


長講堂は、京都市下京区の寺院です。

後白河法皇ゆかりとされる本尊の木造阿弥陀三尊像は

重要文化財です。

正式名を「法華長講弥陀三昧堂」。

寿永2年、後白河法皇が六條西洞院の平業忠の邸に

移られたので、この堂もそこに移建され六条長講堂とよんだ。

法皇は多くの所領を寄進したが、

これが史上に有名な長講堂領で、法皇の崩後、

皇女宣陽門院覲子内親王に継がれて以来、

いわゆる持明院統によって相続されました。

再三の火災のためで寺地を変え、天正6年に現在地に移りました。

2014年4月27日日曜日

京都市下京区|上徳寺(じょうとくじ)

上徳寺(じょうとくじ)


上徳寺は、京都市下京区の寺院です。

境内にある地蔵菩薩立像は、子授け・安産の像として

古くから信仰されており

「京のよつぎさん」「世継地蔵尊」の名で親しまれています。

2014年4月26日土曜日

京都市下京区|市比賣神社(いちひめじんじゃ)

市比賣神社(いちひめじんじゃ)

名 称:市比賣神社(いちひめじんじゃ)

市比賣神社は、京都市下京区にある寺院です。

都会の真ん中にある小さな神社。

795年、桓武天皇の勅命により藤原冬嗣が東西の市の

守護としたのが起こりで、これが後年1591年に

現在の河原町五条に遷座したという。

女人守護の神、商売繁盛の神として信仰を集めています。

また、境内にある井戸「天之真名井」は、

古来皇室において皇子・皇女誕生の折には、

この水が産湯に用いられたいわれ一願成就の井戸として

信仰されています。

2014年4月25日金曜日

京都市中京区|土佐藩邸跡(とさはんていあと)

土佐藩邸跡(とさはんていあと)

名 称:土佐藩邸跡(とさはんていあと)

江戸初期から明治4年まで土佐藩主山内家の藩邸があった場所。

幕末には志士たちの活躍の拠点であった。

土佐藩主山内容堂は、坂本龍馬・中岡慎太郎等の尽力で

薩長同盟が成立し後に、後藤象二郎の進言を入れて

大政奉還を建白するに至った。

ここには、高瀬川を開削した角倉了以の記念碑も建てられています。

2014年4月24日木曜日

京都市中京区|酢屋・坂本龍馬寓居跡(すやさかもとりょうまぐうきょあと)

酢屋・坂本龍馬寓居跡(すやさかもとりょうまぐうきょあと)

名 称:

酢屋・坂本龍馬寓居跡(すやさかもとりょうまぐうきょあと)

坂本龍馬は、江戸に出て軍艦奉行勝海舟の門に入った。

慶応2年薩長同盟締結するなど活躍したが、

京都滞在中は,材木商酢屋に投宿し,

ここを海援隊屯所としました。

現在この酢屋の前の道は「龍馬通」ともいわれています。

2014年4月22日火曜日

京都市中京区|長州屋敷跡・桂小五郎像(ちょうしゅうやしきあと)

長州屋敷跡・桂小五郎像(ちょうしゅうやしきあと)

名 称:長州屋敷跡(ちょうしゅうやしきあと)

長州藩・毛利氏の藩邸跡で幕末維新時の重要な

政治的拠点であった。

元治元年の蛤御門の変では、会津・薩摩の幕府朝廷軍に

敗れた時にはこの邸内に自ら火を放ち逃れたが、

火は市内に延焼して数日間にわたって燃え続けたという。

明治維新後は、この地には勧業場が設立され現在は

京都ホテルとなっています。

ホテルの西側には桂小五郎の像も建っています。

2014年4月21日月曜日

京都市中京区|佐久間象山遭難碑(さくましょうざんそうなんち)

佐久間象山遭難碑(さくましょうざんそうなんち)

名 称:佐久間象山遭難碑(さくましょうざんそうなんち)

佐久間象山は、信濃国松代藩出身で兵学蘭学を学び、

江戸で勝海舟・吉田松陰らに砲学を教えた。

開国論を唱え、嘉永7年吉田松陰の米艦乗込事件に連座し、

その後8年間松代で蟄居した。

元治元年3月幕命で上京し開国論を披瀝した。

同年7月11日騎馬で山階宮家よりの帰る途中に住まい近くの

この地で暗殺された。

大村益次郎卿の碑と並んで建てられています。

 佐久間象山寓居跡も近くにある。

2014年4月20日日曜日

京都市中京区|桂小五郎・幾松寓居跡(かつらこごろういくまつぐうきょあと)

桂小五郎・幾松寓居跡(かつらこごろういくまつぐうきょあと)

名 称:幾松寓居跡(いくまつぐうきょあと)

木戸孝允は、桂小五郎といった長州藩士時代,

花街三本木の芸妓幾松と恋仲となり、

時に新選組に追われながら苦難の時代を過ごした。

両人は鴨川西岸に住み、

蛤御門の変のあとには新撰組に追われて、

幾松の機転で助かったこともあると伝える。

幾松は維新後木戸公夫人松子となり、

明治10年夫を亡くした松子は剃髪して翠香院と号し

京都に住まいし、明治19年44歳で没した。

現在、幾松は料理旅館として営業しており、

幾松ゆかりの部屋も残されています。

2014年4月19日土曜日

京都市中京区|大村益次郎遭難碑(おおむたますじろうそうなんひ)

大村益次郎遭難碑(おおむたますじろうそうなんひ)

名 称:大村益次郎遭難碑(おおむたますじろうそうなんひ)

周防国出身の大村益次郎は、緒方洪庵等に医・蘭学を学んだ後、

江戸に出て幕府の講武所教授等を歴任しました。

のち長州藩に仕え軍制改革を指導し、

第2次長州征伐・戊辰戦争において卓越した指揮を行った。

新政府では兵部大輔として近代兵制の樹立に尽力したが、

明治2(1869)年9月4日関西の軍事施設視察時に、

反対派浪士に襲われ11月5日大阪で没しました。

ここは大村が襲撃された宿の跡地です。

2014年4月18日金曜日

京都市中京区|近江屋跡

近江屋跡

名 称:近江屋跡

龍馬は京都で海援隊本部のあった酢屋を定宿にしていたが、

幕府から追われていたため、

土佐藩の出入り商人であった醤油屋近江屋に移っていた。

慶応3年11月15日ここの二階で中岡慎太郎と大政奉還後の

政局について論じていたという二人は、

刺客に襲われ暗殺されました。

二人はともに土佐藩の出身で薩長連合、

大政奉還の功労者であり、龍馬33歳、中岡30歳。

王政復古の大号令がでる一ヶ月前の無念の最期だった。

2014年4月17日木曜日

京都市中京区|池田屋騒動の碑(いけだやそうどうのひ)

池田屋騒動の碑(いけだやそうどうのひ)

名 称:池田屋騒動の碑(いけだやそうどうのひ)

薩摩藩と会津藩が手を組み京都での倒幕勢力の中心で

あった長州藩の勢力を一掃した「八月十八日の政変」後、

京都では公武合体派が勢力を伸ばし尊皇攘夷派が圧迫された。

長州・土佐・肥後などの志士たちは勢力回復をめざし、

中川宮や京都守護職松平容保の暗殺計画を企てたが、

元冶元年6月5日、三条木屋町にあった池田屋において

会合中に新撰組に襲撃され志士30余名の死傷者をだした。

現在は「池田屋」という居酒屋になっており、

内部には大階段も再現されています。

2014年4月15日火曜日

京都市下京区|五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)

五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)

名 称:五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)

五條天神社は、京都市下京区の寺院です。

天神、との名称だが道真公とは関連が無く、平安遷都の折、

桓武天皇が空海に創建させた神社と伝わる。

大己貴命、少彦名命、天照大神などを祀る。

古来より病気退散、医薬の神として信仰を集め、

厄払い、節分祭の宝船図授与に今も参詣者が多く集まります。

2014年4月14日月曜日

京都市下京区|空也寺(くうやじ)

空也寺(くうやじ)

名 称:空也寺(くうやじ)

空也寺は、京都市下京区の寺院です。

天禄3年空也上人が錦小路西洞院に開基。

天正年間に現在地に移転した。

本尊は阿弥陀三尊、本堂には空也上人像が安置されています。

平成12年2月の本堂落慶を記念して、

空也上人が洛中を「念仏踊り」をした際に十一面観音を

台車にのせて廻ったという故事にちなみ、

十一面観立像を新たに造り祀っています。

2014年4月13日日曜日

京都市下京区|佛光寺(ぶっこうじ)

佛光寺(ぶっこうじ)


佛光寺は、京都府京都市下京区にある真宗佛光寺派の本山です。

寺伝によると、親鸞は越後流罪から赦免された翌年建暦2年に

京都に帰り、山科の地に草庵を創建、

この草庵が佛光寺の始まりとされています。

当初は、「興隆正法寺」と号しました。

その後、南北朝時代に第七世了源上人が教化活動の拠点を

京都に置き、西日本一帯の布教活動に力を入れました。

天正14年に豊臣秀吉の懇請により現在地に移されました。

本尊は、平安末期に造られたという「阿弥陀如来立像」、

「聖徳太子立像」は重文、阿弥陀堂や大師堂は明治時代の再建。

2014年4月12日土曜日

京都市下京区|菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)

菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)

名 称:菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)

菅大臣神社は、京都市下京区の寺院です。

菅原道真誕生の地、邸宅跡と伝えられる。

境内には本殿、幣殿ほか多くの社殿が建ち、

道真公が産湯を使ったという井戸もございます。

「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」と

道真公が歌ったのはこの邸宅であったとされています。

2014年4月11日金曜日

京都市下京区|平等寺(びょうどうじ)

平等寺(びょうどうじ)


平等寺は、京都市下京区にある寺院です。

六角堂などと同じく、町堂として篤い信仰を集めてきました。

歴代の天皇も厄年には勅使を派遣し、祈祷をうけたという。

本尊薬師如来像は兵火を免れ現存。重要文化財。

嵯峨釈迦堂の釈迦如来、信濃善光寺の阿弥陀如来とともに

日本三如来の一つです。洛陽三十三所観音霊場第二十七番札所。

2014年4月10日木曜日

京都市下京区|杉本家住宅

杉本家住宅

名 称:杉本家住宅

京都市指定文化財の京町屋「杉本家」。

1743年から呉服商を営む「奈良屋」の店舗兼住宅で、

京格子や出格子・犬矢来・土塗りの虫籠窓など表屋造りによる

大規模な京町家の特徴を今に伝えています。

現在の建物は明治3年に再建されたものです。

杉本家には年中行事や商家の冠婚葬祭の古文書や、

什器・祭具がよく保存され江戸から明治にかけての

民族資料・工芸資料として高い評価を得ています。

祇園祭「伯牙山」のお飾り所にも使われています。

2014年4月8日火曜日

京都市中京区|弁慶石(べんけいいし)

弁慶石(べんけいいし)

名 称:弁慶石(べんけいいし)

京都市内にはいくつか弁慶にちなむ弁慶石があるそうですが、

最もよく知られたものがこの中京区三条通にある弁慶石です。

弁慶がとても気に入っていた石といわれ、

弁慶の住まいの跡にあった石とも言われています。

弁慶の死後、奥州の地に移されていた石が

「三条京極に往かむ」と発声したため、

享徳3年に 京都に移されたそうです。

2014年4月7日月曜日

京都市中京区|頂法寺(ちょうほうじ)

頂法寺(ちょうほうじ)


頂法寺は、京都市中京区にある天台宗系単立の仏教寺院です。

山号は紫雲山。本尊は如意輪観音(秘仏)。

西国三十三所第十八番札所。

正式の寺号は頂法寺(山号を冠して紫雲山頂法寺)であるが、

本堂が平面六角形であることから、

一般には「六角堂」の通称で知られています。

華道、池坊の発祥の地としても知られています。

京都の中央にあると言われる「ヘソ石」は旧本堂の礎石と伝えられる。

2014年4月6日日曜日

京都市中京区|先斗町(ぽんとちょう)

先斗町(ぽんとちょう)


先斗町は京都市中京区に位置し、

鴨川と木屋町通の間にある花街です。

「町」と付くが地名としての先斗町はございません。

先斗町通については「先斗町通四条上る柏屋町」等、

公文書にも使用されています。

文化十年に公認された京都五花街の一つ、

木屋町通りの一本東側、

石畳の通りには京風情のある店が建ち並び観光客が多く訪れる。

【 由来 】

ポルトガル語の岬やカルタ用語の先端など様々ございます。

春には「鴨川をどり」がおこなわれます。

2014年4月5日土曜日

京都市中京区|三条大橋(さんじょうおおはし)

三条大橋(さんじょうおおはし)


三条大橋は、京都市にある三条通の橋です。

橋が架けられた時期は明らかではないが天正18年、

豊臣秀吉 の命により五条大橋と共に増田長盛を

奉行として石柱の橋に改修されました。

江戸時代においては、

五街道のひとつ東海道につながる橋として、

幕府直轄の公儀橋に位置付けられ、

流出のたびごとに幕府の経費で架け替え・修復が

行われました。

東海道五十三次の西の起点で、

橋の西詰には十返舎一九の「東海道膝栗毛」の

主人公・弥次喜多像が立っている。

また、元治元年の新撰組による池田屋事件で刀で

つけられたというキズが擬宝珠がございます。

2014年4月4日金曜日

京都市中京区|錦小路・錦市場(にしきいちば)

錦小路・錦市場(にしきいちば)


錦市場は、京都市中京区のほぼ中央に位置する

錦小路通のうち、「寺町通 - 高倉通」間に存在する

商店街です。

魚・京野菜などの生鮮食材や、乾物・漬物などの

加工食品を商う老舗・専門店が集まる市場です。

中小企業庁によれば、

商店街の類型として超広域型商店街とされ、

名称は京都錦市場商店街とされ、

2006年5月に「がんばる商店街77選」に選ばれました。

2014年4月3日木曜日

京都市中京区|錦天満宮(にしきてんまんぐう)

錦天満宮(にしきてんまんぐう)


錦天満宮は、京都市中京区にある寺院です。

【 歴史 】

長保5年、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸「菅原院」を

源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築して「歓喜寺」が

創建され、その鎮守社として天満天神を祀って創建されたのに

始まる。

天正15年、豊臣秀吉の都市計画のため、

寺とともに錦小路東端の現在地に移転しました。

その所在地名から「錦天満宮」と呼ばれるようになりました。

明治の神仏分離により歓喜寺は東山五条に移り、

神社だけが残されました。

2014年4月1日火曜日

京都市中京区|岬神社(みさきじんじゃ)

岬神社(みさきじんじゃ)

名 称:岬神社(みさきじんじゃ)

岬神社は、京都市中京区にある寺院です。

室町時代初期に鴨川の中洲の岬に祠を建てたのがはじまりという。

その後、

江戸時代には土佐藩邸があったこの地に移された祭神に倉稲魂命を

祀るため土佐稲荷と呼ばれ土佐藩士だけではなく、

先斗町や木屋町の町衆からも産土神として信仰を集めました。

坂本龍馬や中岡慎太郎なども詣でていたと考えられ、

境内には龍馬の写真などが飾られ観光客にも人気がございます。

近くには、土佐藩邸跡の石碑もございます。


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