名 称:池田屋騒動の碑(いけだやそうどうのひ)
薩摩藩と会津藩が手を組み京都での倒幕勢力の中心で
あった長州藩の勢力を一掃した「八月十八日の政変」後、
京都では公武合体派が勢力を伸ばし尊皇攘夷派が圧迫された。
長州・土佐・肥後などの志士たちは勢力回復をめざし、
中川宮や京都守護職松平容保の暗殺計画を企てたが、
元冶元年6月5日、三条木屋町にあった池田屋において
会合中に新撰組に襲撃され志士30余名の死傷者をだした。
現在は「池田屋」という居酒屋になっており、
内部には大階段も再現されています。