Google よし、京都に行こう!: 祇園祭の歴史|京都

2016年7月16日土曜日

祇園祭の歴史|京都


7月16日、今日の京都市左京区は曇り時々晴れ。

京都は、祇園祭の宵山です。
知り合いから送られてくる『祇園祭なう☆』という楽しそうな写真の数々を眺めながら、
祇園祭を楽しんでます。


京都の三大祭の一つだということを知っている人は多いけれど、
祇園祭の始まりを知っている人は、案外少ないそうです。

祇園祭は、今からおよそ1100年前、清和天皇の時代(869)、京の都に疫病が流行し、
庶民の間に多くの病人や死者でました。
これは、牛頭天王(ごずてんのう)のたたりであるとし、
祇園社(八坂神社の前身)に病魔の退散を、
『66本の鉾』をつくり御霊会を行って祈願したのが始まりといわれています。
 

その後、『祇園御霊会』とよばれ、疫病の流行した年のみ開催されていましたが、
円融天皇(970)の頃からは毎年6月の14日に行われるようになりました。

その間、平治の乱などの際には一時中断された時期もありましたが、
足利時代には、再興され、
応仁・文明の乱の後、京の都が焼け野原と化して三たび中止されましたが、
大乱の約30年ほど後の、明応9年(1500)には、
町衆によって再興され、『26基の山鉾』が巡行したと伝えられています。


明応9年(1500)に、町衆によって再再々興された祇園会は、
町衆自身の手によって創意がされ、
外観などにも京の伝統的な織物技術などを生かした
豪華絢爛な装飾がほどこされるようになりました。

一向一揆(1533)のさいの幕府からの中止命令にも、
熱い町衆の熱意で存続を訴え、現代の祇園祭へと継承されてきました。

“動く美術館”といわれるほど多くの美術品で飾られた山鉾は、
特に桃山時代から江戸時代に、
舶来のゴブラン織や西陣織、綴錦などが競って用いられるようになってからなのです。
 
再三の中止、再興を1000の京都の歴史と共に歩んできた“町衆の文化”としての祇園祭りは、
昭和54年(1979)には、国の重要民族文化財に指定されました。

『32基の山鉾』がたちならび、巡行する様子は、
その規模からも、また、祭事の行われる期間からも、
まさに“日本三大祭”の雄といわれる由縁ですね。





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