名 称:大通寺(だいつうじ)
大通寺は、京都市南区にある寺院です。
鎌倉幕府第3代将軍源実朝の未亡人である坊門信子が
夫の暗殺後に京都に戻り、真空を招いて出家し、
自邸を尼寺としたことに由来します。
創建時には現在の南区八条町付近にあり、
南隣にはかつて貞純親王・源経基の邸宅があり、
経基を祀った六孫王社があり、同社を寺の鎮守としました。
清和源氏嫡流の祖である源経基と最後の当主である
源実朝双方ゆかりの寺院であるということで、
鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府の代々の将軍によって
保護されました。
江戸時代には真言宗・律宗・三論宗兼学の寺院として知られ、
多くの塔頭と寺領を有しました。
元禄期には能書家・作庭家として知られた南谷が居住しました。
明治45年、東海道線の移設工事によって現在地に移転しました。
絹本著色善女竜王像・『醍醐雑事記』第9・10巻は
重要文化財に指定され、
源実朝木像など貴重な寺宝を多く所有しています。
また『十六夜日記』の阿仏尼の墓とされる
「阿仏塚」も現在地に移転され、境内に現存しています。