Google よし、京都に行こう!: 12月 2013

2013年12月27日金曜日

京都市左京区|無鄰庵(むりんあん)

無鄰庵(むりんあん)


明治の元勲・山県有朋の別荘で、

その名は,有朋が長州に建てた草庵が隣家のない閑静な場所で

あったことから名付けられたといいます。

有朋はこの別荘の庭園をこよなく愛し,

多忙な公的生活の合間にも夫人を伴ってしばしば訪れました

といいます。

洋館は明治31年に建てられ明治36年4月21日,

山県有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4人によって、

日露開戦直前のわが国外交方針を決める「無鄰菴会議」が

開かれてたことで知られています。

庭園は、疎水の水を引き入れた池泉回遊式の見事な庭は、

小川治兵衛が作庭したもので、茶室も建てられている。

国の名勝の指定を受けている。

2013年12月26日木曜日

京都市山科区|日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)

日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)

名 称:日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)

日向大神宮は京都市山科区の三条通沿いにある神社。

式内社(小)で、旧社格は村社。「京の伊勢」とも称される。

2013年12月24日火曜日

京都市左京区|禅林寺(ぜんりんじ)

禅林寺(ぜんりんじ)


禅林寺は、京都市左京区にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。

一般には通称の永観堂の名で知られています。

山号を聖衆来迎山、院号を無量寿院と称する。

本尊は阿弥陀如来、開基は、空海の高弟の真紹僧都である。

当寺は紅葉の名所として知られ、

古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。

また、京都に3箇所あった勧学院の一つでもあり、

古くから学問が盛んである。

2013年12月23日月曜日

京都市左京区|須賀神社(すがじんじゃ)

須賀神社(すがじんじゃ)


須賀神社は、京都市左京区にある神社です。

【 由 来 】

平安時代末の1142年、美福門院の建てた歓喜光院の鎮守として

創祀されたもので、祭神は素戔嗚尊、櫛稲田比売命を主神に

久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を加え、五柱を祀る。

もとの社地は平安神宮蒼竜楼の東北にある西天王塚辺りで、

当社は岡崎の東天王社と相対して古くは西天王社と呼ばれた。

その後、吉田神楽岡に転じ、いまの地に移ったのは大正13年の

ことである。

聖護院一帯の産土神とされ、縁結び、厄除け、交通安全の神として

崇敬厚く、節分祭には参詣者で賑わう。

近世に編纂された「拾遺都名所図会」によると、祭神は牛頭天王、

例祭は6月16日である。

なお1758年、筑前国福岡城三の丸に勧請された西天王社は、

「西天皇社」とも表記される。

2013年12月22日日曜日

京都市左京区|吉田神社(よしだじんじゃ)

吉田神社(よしだじんじゃ)


吉田神社は、京都市左京区吉田神楽岡町にある神社。

二十二社の一社。

旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

【 祭 神 】

祭神は以下の4柱で、勧請元の春日大社と同じ。

・建御賀豆智命 (たけみかづちのみこと、武甕槌命)

・伊波比主命 (いわいぬしのみこと、経津主命)

・天之子八根命 (あまのこやねのみこと、天児屋根命)

・比売神 (ひめのかみ)

2013年12月21日土曜日

京都市左京区|新長谷寺(しんはせでら)

新長谷寺(しんはせでら)

名 称:新長谷寺(しんはせでら)

新長谷寺は、京都市左京区にある寺院です。

天台宗 鈴声山 真正極楽寺 真如堂に属す。

平安時代、九条家の祖と言われる藤原山蔭卿の開基。

本尊は十一面観音。

山蔭卿の信仰が厚い長谷寺十一面観音を模刻造像。

吉田山は旧来神楽岡と呼ばれ、仏法有縁の霊地。

山蔭卿が邸宅を構え、そこに新長谷寺を建立。

明治時代、真如堂境内に移転。

2013年12月20日金曜日

京都市左京区|金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)

金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)

名 称:金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)

金戒光明寺は、京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院。

山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。

通称寺名をくろ谷さんと呼びます。

知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の大本山の1つである。

【 文化財 】

※ 重要文化財

文殊塔(三重塔)

木造千手観音立像(通称吉備観音)

絹本著色山越阿弥陀図・地獄極楽図

※ その他

一枚起請文(伝・真筆)

建暦2年正月23日に、源智が形見にということで法然に懇願して、

念仏の教えを書いてもらったという。

4月23日・24日の御忌法要時のみ公開される。

鏡の御影

山門(1860年建立)

2013年12月19日木曜日

京都市東山区|光雲寺(こううんじ)

光雲寺(こううんじ)

名 称:光雲寺(こううんじ)

光雲寺は、京都市東山区にある寺院です。

霊芝山と号する臨済宗南禅寺派の寺。

南禅寺北ノ坊とも呼ばれる。

1661年頃に後水尾天皇と中宮東福門院が南禅寺の英中禅師に

深く帰依され、摂津にあったものをこの地に再興。

元久邇宮家の菩提所となっている。

書院南の庭園は、疏水の水を引き、背景の山を借景とした

池泉廻遊式の名園で造園家小川治兵衛が作庭しました。

2013年12月16日月曜日

京都市左京区|霊鑑寺(れいかんじ)

霊鑑寺(れいかんじ)

名 称:霊鑑寺(れいかんじ)

霊鑑寺は、京都市左京区にある寺院です。

臨済宗南禅寺派の尼門跡寺院。谷御所ともいわれる。

1654年に後水尾上皇の皇女、多利宮が現在地の南に創建。

後水尾上皇遺愛の日光椿のほか多数の椿がございます。

2013年12月15日日曜日

京都市左京区|安楽寺(あんらくじ)

安楽寺(あんらくじ)

名 称:安楽寺(あんらくじ)

安楽寺は、京都市左京区にある浄土宗の寺院です。

7月に中風除けを祈願するカボチャ供養で有名です。

通称「松虫鈴虫寺」ともいわれています。

【 由 緒 】

安楽寺は、1207年におこった建永の法難のきっかけとなった

法然の念仏道場「鹿ヶ谷草庵」の後身の寺であり、

寺宝として安楽房遵西・住蓮坊と後鳥羽上皇の女官であった

松虫・鈴虫関連のものが残されています。

2013年12月14日土曜日

京都市左京区|銀閣寺(ぎんかくじ)

銀閣寺(ぎんかくじ)


慈照寺は、京都市左京区にある臨済宗相国寺派の寺院です。

相国寺の境外塔頭である。

室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。

足利義政が鹿苑寺の舎利殿を模して造営した楼閣建築である

観音殿は銀閣、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる。

「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

山号は東山。

開基は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石。

夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、

このような例を勧請開山という。

2013年12月13日金曜日

京都市上京区|櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)

櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)

名 称:櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)

櫟谷七野神社は、京都市上京区にある寺院です。

社伝によれば文徳天皇の皇后が子宝祈願のため、

奈良の春日大社から御霊を遷し奉ったのが神社の起源といわれる。

この辺りは、紫野と呼ばれもとは賀茂社に奉仕する斎王が住む

紫野斎院の跡ともいわれている。

櫟谷七野神社の名の由来は、内野・北野・平野・柏野・紫野・

上野・蓮台野の七野の惣社との説もある。

宇多天皇の愛を取り戻そうとした皇后が夢のお告げで、

社殿の前に白い砂を山の形に積んだところ、

天皇の愛が戻ったという故事が櫟谷七野神社には残っています。

このいわれから、社前に白砂を積むと”浮気封じ”の願いが届き、

失われた愛の復活が叶うといわれています。

2013年12月12日木曜日

京都市北区|上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)

上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)


上品蓮台寺は、京都市北区にある真言宗智山派の寺院です。

【 国 宝 】

紙本著色絵因果経 - 奈良時代の作品。

釈迦の前世と現世の物語を説く『過去現在因果経』という

経典を絵解きしたもの。巻子本の下半分に経文を書写し、

上半分に経文の内容を表す絵を描く。

『過去現在因果経』は全4巻の経典だが、

「絵因果経」は各巻を上下2巻に分けた全8巻から成り、

上品蓮台寺本はそのうちの巻第二上のみが残ったものである。

本巻は完本ではなく巻末部分を欠いており、

当該部分は断簡として奈良国立博物館などに所蔵されている。

奈良時代の「絵因果経」の遺品は東京芸術大学、醍醐寺、

出光美術館にも所蔵されるが、これらは一具のものではなく、

別々に制作された「絵因果経」の一部が残ったものである。

数少ない奈良時代絵画の遺品として貴重である。

2013年12月10日火曜日

京都市北区|玄武神社(げんぶじんじゃ)

玄武神社(げんぶじんじゃ)

名 称:玄武神社(げんぶじんじゃ)

玄武神社は、京都市北区紫野にある寺院です。

玄武は北の守護神といわれ平安京の北に位置する玄武神社は、

王城の北野守護神として信仰されています。

4月の第2日曜日に行われる「やすらい花」は平安時代に

起源を持つといわれる祭礼、疫病を退散させるために、

風流の衣装をまとい鉦や太鼓をたたき踊りながら無病息災を

祈願して各家を回る。重要無形文化財に指定されています。

2013年12月9日月曜日

京都市北区|聚光院(じゅこういん)

聚光院(じゅこういん)


聚光院は、京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の寺院。

同派大本山大徳寺の塔頭のひとつ。

聚光院という院号は、

三好長慶の法名「聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門」から

採られたものである。寺内は通常は公開されていない。

2013年12月8日日曜日

京都市北区|真珠庵(しんじゅあん)

真珠庵(しんじゅあん)


真珠庵は京都市北区紫野にある、臨済宗大本山大徳寺の塔頭です。

型破りの禅僧として著名な一休宗純ゆかりの寺院である。

特別公開時を除き、通常は非公開である。

【 由 来 】

日本臨済宗の祖の一人となった楊岐方会が雪の夜に

楊岐山の破れ寺で座禅をしていた時に風が舞い、

部屋の中へ雪が降り込んできた。

床に積もった雪が月に照らされて真珠のように輝いたという

故事にちなんで一休が名付けた。

2013年12月7日土曜日

京都市北区|瑞峯院(ずいほういん)

瑞峯院(ずいほういん)


瑞峯院は、京都市北区紫野にある、臨済宗大徳寺派の寺院です。

同派大本山大徳寺の塔頭。境内には大友宗麟夫妻の墓がある。

【 庭 園 】

方丈を中心として南・北・西の三庭からなっている。

いずれも重森三玲の手によるもので、

昭和36年、開祖である徹岫宗九の400年遠忌に作庭された。

独坐庭(どくざてい)

方丈の正面に位置する蓬莱山式庭園で、

大刈込と巨石で表した蓬萊山からのびる半島と小島に打ち寄せる

荒波を砂紋で描いている。

百丈禅師の言葉である「独坐大雄峰」という禅語からの命名。

閑眠庭(かんみんてい)

キリシタン大名・大友宗麟の思いを汲んだ枯山水の庭で、

東側にあるキリシタン灯篭を背にして見ると、

7個の石組みが十字架を形作っている。

「閑眠高臥して青山に対す」という禅語からの命名。

茶庭

方丈と餘慶庵の間にある露地で、

一木一草を用いず、青石を一面に敷きつめ、

中央近くに立手水鉢を設けた斬新な茶庭であった。

近年改築されて、

松や苔の植栽に飛び石という典型的な茶庭になっている。

2013年12月6日金曜日

京都市北区|龍源院(りゅうげんいん)

龍源院(りゅうげんいん)


龍源院は、京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の寺院。

同派大本山大徳寺の塔頭である。

大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南派の本庵です。

【 由 来 】

大徳寺の山号である龍宝山の「龍」と

中国・臨済宗松源派の祖・松源崇岳の禅を正しく継承する

松源一脈の「源」の2文字を採ったものである。

2013年12月5日木曜日

京都市北区|高桐院(こうとういん)

高桐院(こうとういん)


高桐院は、京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の寺院。

大本山大徳寺の塔頭のひとつである。

開基は細川忠興、開山は玉甫紹琮である。

戦国時代に智将として名を馳せ、茶人としては利休七哲の1人として

知られる細川忠興が父・細川藤孝のために慶長7年に建立した寺で、

玉甫紹琮を開山とする。

玉甫紹琮は幽斎の弟で、三斎のおじにあたる。

創建については慶長6年とも言うが、創建に際して春屋宗園が与えた

偈に「寅十月十七日」とあり、干支の関係から慶長7年の創建。

正保2年に83歳で没した忠興は、遺言によりその遺歯が高桐院に

埋葬され、以後細川家の菩提寺として庇護される。

2013年12月3日火曜日

京都市北区|志明院(しみょういん)

志明院(しみょういん)

名 称:志明院(しみょういん)

志明院は、京都府京都市北区にある寺院です。

一般に岩屋不動と呼ばれています。

寺伝によれば、白雉元年に役行者が創建し、

天長6年弘法大師が醇和天皇の命により再興し、

以来皇室の勅願所として崇敬が深く、

天下の平和を祈願のため諸堂開扉の詔があり、

この時「志明院」の勅願を天皇から賜って以来これを

寺号にしたという。

また付近一帯には石楠花が多く、4月下旬に開花して美しい。

2013年12月2日月曜日

京都市北区|常照寺(じょうしょうじ)

常照寺(じょうしょうじ)


常照寺は、京都府京都市北区にある日蓮宗の寺院です。

山号は寂光山。旧本山は、身延山久遠寺。親師法縁。

常照寺は本阿弥光悦が徳川家康より拝領した光悦村の一部で、

本阿弥光嵯が土地を寄進して常照寺が建立されました。

その後、日蓮宗の檀林(鷹峰檀林)開かれた。

近年、境内が整備され紅葉の名所として人気を集めています。

2013年12月1日日曜日

京都市北区|光悦寺(こうえつじ)

光悦寺(こうえつじ)


光悦寺は京都市北区鷹峯にある日蓮宗の寺院です。

山号は大虚山。旧本山は本法寺。親師法縁。

鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を望む景勝地である。

江戸時代の芸術家である本阿弥光悦に元和元年に徳川家康が

この地を与えた。『本阿弥行状記』によれば、

当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な土地であったという。

この地に光悦の一族や様々な工芸の職人らが移り住み芸術の集落

となった。光悦の死後に屋敷は寺となりました。

境内には光悦の墓碑がある。


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