Google よし、京都に行こう!: 3月 2014

2014年3月31日月曜日

京都市中京区|高瀬川一之船入(たかせがわいちのふないり)

高瀬川一之船入(たかせがわいちのふないり)


高瀬川一之船入は、京都府の高瀬川に作られた船入です。

1934年1月22日、国により名勝天然記念物に指定されました。

一之船入手前の高瀬川には高瀬舟が再現されています。

高瀬川には他に二之船入・三之船入等の船入が設けられていたが、

現存するのは一之船入のみです。

2014年3月30日日曜日

京都市中京区|誠心院(せいしんいん)

誠心院(せいしんいん)

名 称:誠心院(和泉式部寺)(せいしんいん)

誠心院は、京都市中京区の寺院です。

真言宗泉涌寺派の寺。

自伝によれば関白藤原道長が、

女の上東門院・藤原彰子仕えていた和泉式部のために、

庵を与えたのが始まりとされています。

天正年間に豊臣秀吉の命令で現在地に移転。

初代の住職とされる和泉式部の法名

「誠心院専意法尼」にちなんで誠心院と呼ばれています。

境内にある法篋印塔は和泉式部の墓といわれ、

江戸時代の名所絵図にも描かれ和泉式部を慕う多くの

人たちが今も参拝しています。

2014年3月29日土曜日

京都市中京区|誓願寺(せいがんじ)

誓願寺(せいがんじ)


誓願寺は、京都市中京区新京極通にある寺院です。

浄土宗西山深草派の総本山。

本尊阿弥陀如来は京洛六阿弥陀仏の一つ。

もとは奈良にあったが後に現在地に移転しました。

和泉式部、秀吉の側室・松の丸殿などの女性が

参詣したことでも知られています。

門前には街頭告知板として有名な石柱「迷子道しるべ」が立つ。

十一面観音は、弘法大師の作と伝えられ、

かつては長金寺(一言堂)の本尊で「一言観音」として

信仰を集めています。 洛陽三十三所観音霊場第二番札所。

2014年3月28日金曜日

京都市中京区|瑞泉寺(ずいせんじ)

瑞泉寺(ずいせんじ)

名 称:瑞泉寺(ずいせんじ)

瑞泉寺は、京都市中京区にある寺院です。

豊臣秀吉に自刃させられた豊臣秀次および三条河原で

処刑された秀次の妻子30数名の菩提を弔うための寺。

秀吉は彼らの塚に「秀次悪逆塚」と刻んだが、

後年、角倉了以らがこれを直し各人に法名をつけて再建、

寺を建立したという。

2014年3月27日木曜日

京都市中京区|矢田寺(やたでら)

矢田寺(やたでら)

名 称:矢田寺(やたでら)

矢田寺は、京都市中京区の寺院です。

845年、奈良の矢田山金剛寺の別院として創建。

本尊は「代受苦地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩。

手作りのぬいぐるみ地蔵さんは観光客に人気とか。

矢田地蔵縁起は重要文化財。

精霊を冥土に送り返すときにつく送り鐘がある。

諸病退散を願うかぼちゃ供養は十二月に行われる。

2014年3月25日火曜日

京都市中京区|本能寺(ほんのうじ)

本能寺(ほんのうじ)


本能寺は、京都府京都市中京区にある、寺院です。

織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」で知られる。

塔頭が7院ある。

【 逸話 】

本能寺の「能」の字は「䏻」という俗字になっている。

これは本能寺が度重なって焼き討ちに遭っているため、

「『ヒ』(火)が『去』る」という意味で字形を変えていると

いわれています。

なお、この「䏻」は本能寺のために作字されたわけではなく、

当時は現在の「能」よりも広く使われていた字体である。

2014年3月24日月曜日

京都市中京区|新撰組発祥の地跡(しんせんぐみはっしょうのち)

新撰組発祥の地跡(しんせんぐみはっしょうのち)

名 称:新撰組発祥の地跡(しんせんぐみはっしょうのち)

文久3年春、将軍家茂の上洛警護のため、

清河八郎率いる浪士組が入洛したが、

その宿舎の1つとして使われたのが、

当時壬生郷の郷士宅であった当屋敷であった。

浪士組は、在京20日余りで再び江戸に戻ったが、

当所に分宿していた、芹沢鴨、新見錦、近藤勇、土方歳三らは、

引き続き京都の警備のため残留し、

京都守護職松平容保の支配に属して「新撰組」と名のった。

新撰組は、当屋敷に「新撰組宿所」の標札を掲げ、

隊員はわずか10数名で発足したが、次第に隊員が増加し、

付近の農家にも分宿した。

以後、市中の治安維持に努め、

元治元年の池田屋事件で一躍その名を轟かせた。

翌年の慶応元年4月、屯所は西本願寺に移されました。

2014年3月23日日曜日

京都市右京区|西院春日神社(さいいんかすがじんじゃ)

西院春日神社(さいいんかすがじんじゃ)


西院春日神社は、京都市右京区にある神社です。

【 歴史 】

淳和天皇が退位に伴い淳和院離宮へ居を移すに際し、

天長10年にその守護社として創建された。

付近では当時の淳和院の遺構が発掘されており、

規模の大きな離宮であったことが判明しています。

【 境内 】

境内社である還来神社は、還来大神として知られており、

旅行の安全にご利益があるとされています。

また先の大戦中には、出征兵士の無事帰還を願う家族が

多数訪れたという。

境内には、

日清戦争以降の戦争における西院地区の戦没者を祀る

招魂碑が建てられています。

元は明治34年に京福西院駅付近に建てられたものが

昭和3年に境内へ移設され、後に碑の石を改築したものです。

2014年3月22日土曜日

京都市中京区|武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)

TAKENOBUINARIJINNJA

名 称:武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)

武信稲荷神社は、京都市中京区にある寺院です。

平安時代の初期、清和天皇貞観元年2月、

右大臣左近衛大将藤原良相公によって創祀されたという。

後世、藤原武信という信者が御神威の発揚につとめたので、

武信稲荷と称されるようになったといわれています。

また、名付け姓名判断の所縁としても信仰されている。

境内にある樹齢約850年といわれる榎は、

「えんの木」とも読まれ、

御神木の榎に宿る弁財天を祀る末社が縁結び、

恋愛の神ともいわれています。

2014年3月21日金曜日

京都市右京区|高山寺(西院)(こうさんじ)

高山寺(西院)(こうさんじ)

名 称:高山寺(西院)(こうさんじ)

高山寺は、京都市右京区にある寺院です。

門前に「淳和院跡」の碑が建つ。

本尊の地蔵菩薩の他に屋外に石像の地蔵菩薩像があり、

子育て地蔵として信仰を集めています。

足利義政の妻日野富子もここに参って嫡子を得、

後に足利義尚となりました。

2014年3月20日木曜日

京都市下京区|長円寺(ちょうえんじ)

長円寺(ちょうえんじ)

名 称:長円寺(ちょうえんじ)

長円寺は、京都市下京区の寺院です。

延命山と号する浄土宗本派の寺。

慶長十三年京都所司代板倉勝重が建立したのが起こり。

天明の大火で焼失したが、

十五世瑞誉上人の時に再建された。

観音堂内に安置する聖観音像は、

一条天皇の御代に疱瘡が流行し、

これを嘆いた大納言藤原親衡公は天禄三年、

名僧恵心僧都に依頼し作らせた観音像を宮中に奉安し、

二十一日間祈願法要されたところたちまち疱瘡は治まったという。

それ以来疫病除けの霊験あると信じられた。

洛陽観音霊場第二十四番札所。

2014年3月18日火曜日

京都市中京区|壬生寺(みぶでら)

壬生寺(みぶでら)


壬生寺は、京都市中京区壬生にある律宗大本山の寺院です。

本尊は地蔵菩薩、開基は園城寺(三井寺)の僧快賢である。

中世に寺を再興した円覚上人による融通念仏の

「大念仏狂言」を伝える寺として、

また新選組ゆかりの寺としても知られています。

寺号を宝憧三昧寺、院号を心浄光院という。

2014年3月17日月曜日

京都市中京区|梛神社(なぎじんじゃ)

梛神社(なぎじんじゃ)


梛神社は、京都市中京区壬生にある神社です。

元祇園社とも呼ばれる。

現在は「元祇園 梛神社」と呼ばれています。

境内には大正時代に式内大社隼神社が遷座している。

ともに厄除けの神として信仰されています。

2014年3月16日日曜日

京都市中京区|正運寺(しょううんじ)

正運寺(しょううんじ)

名 称:正運寺(しょううんじ)

正運寺は、京都市中京区にある寺院です。

正運寺は浄土宗鎮西派の寺。

加藤清正公の重臣飯田覚兵衛尉重氏直景を開基、

深誉上人を開山として慶長五年に創建。

天明八年正月に焼失、現在の建物はその後に再建。

本尊は阿弥陀仏安置。

十一面観音像は大和国長谷寺の本尊と同木といわれる。

洛陽三十三所第二十六番霊場。

2014年3月15日土曜日

京都市上京区|出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)

出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)


出世稲荷神社は、京都市上京区の寺院です。

1587年、秀吉が稲荷大社より聚楽第に勧請、

1663年聚楽第を取り壊す際に現在地に移築。

倉稲魂命ほかを祀る。

社名は豊臣秀吉の出世にちなむ。

本殿には6代目清水六兵衛作の神像、

堂本印象の「登り竜」天井図がある。

境内には尾上松之助寄進の石鳥居、

新門辰五郎寄進の狛犬がある。

2014年3月14日金曜日

京都市中京区|薬師院(やくしいん)

薬師院(やくしいん)

名 称:薬師院(やくしいん)

薬師院は、京都市中京区にある寺院です。

自寺伝によると、本尊の薬師如来像は、

桓武天皇の延暦元年、伝教大師最澄が比叡山延暦寺の

草創を願って刻んだ薬師如来内の一つと伝わり、

延暦寺の根本中堂に祀られている薬師像と同形で、

現存はこの2体のみといい、

その後、比叡山より持ち出されたものを織田信長が

祀ったと伝えられています。

鎌倉時代の寛喜二年に、疫病がはやったときに、

この寺の住職の夢枕に薬師如来が現れて、

「一切病苦の衆生、我が前に来らば諸病ことごとく除くべき。

来也、来也」とのお告げを賜り、

その後本尊の薬師如来を「こぬか薬師」として

全国から多くの参拝者が来たという。

2014年3月13日木曜日

京都市中京区|二條陣屋(にじょうじんや)

二條陣屋(にじょうじんや)

名 称:二條陣屋(にじょうじんや)

寛文10年に建てられた家屋は、

二条城や京都所司代に伺候する諸大名の陣屋として、

また奉行所の公事宿としても利用されました。

その構造は特殊な仕掛けや設備が施され、防火上の工夫も多い。

昭和19年、防火建築、陣屋式建築、数奇屋建築としての

3点から、当時の国宝保存法に基づく国宝に指定され

現在は重要文化財に指定されています。

2014年3月11日火曜日

京都市中京区|神泉苑(しんせんえん)

神泉苑(しんせんえん)


神泉苑は、京都市中京区にある東寺真言宗の寺院。

本尊は聖観音・不動明王・弘法大師。二条城の南に位置し、

元は平安京大内裏に接して造営された禁苑であった。

境内に「大歳神:歳徳神(さいとくじん)」を祀るが

毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える点が

他の神社仏閣と異なる。

2014年3月10日月曜日

京都市中京区|生神女福音聖堂(しょうしんじょふくいんせいどう)

生神女福音聖堂(しょうしんじょふくいんせいどう)

名 称:生神女福音聖堂(しょうしんじょふくいんせいどう)

生神女福音聖堂は、京都市中京区にございます。

ギリシャ正教の京都聖堂として、

京都府技師松室重光の設計監督で明治34年に完成。

建物は木造平屋建のロシヤ・ビザンチン様式、

聖堂は十字型の平面構造となっており、

堂内に三段で構成される帝政ロシア時代のイコノスタシスがある。

そこには油彩聖人像のパネル30枚が嵌め込まれています。

京都市指定有形文化財です。

2014年3月9日日曜日

京都市中京区|下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)

下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)


下御霊神社は、京都市中京区にある寺院です。

明治までは神輿迎が7月18日に御霊祭は8月18日に

行われていたが、明治以降は5月1日が神幸祭、

18日が還幸祭と改められ、

8月18日は例祭日と定められて東遊が奉奏される。

現在では還幸祭は5月の第3か第4日曜日に行われており、

宵宮では地域の小学校と連携した子供神輿も催されている。

2014年3月8日土曜日

京都市中京区|行願寺(ぎょうがんじ)

行願寺(ぎょうがんじ)


行願寺は、京都市中京区の寺院です。

本尊は千手観音。1004年、行円上人により開かれた。

行円がいつも革の衣をまとっていたので、革聖のお堂、

革堂と呼ばれて親しまれています。

本尊は上人が全ての人々の成仏のため仏像を

彫刻したいと発願し、賀茂の社に霊木があることを告げられ、

その槻の木に自ら一刀三礼して彫られた観音で秘仏となっています。

2014年3月7日金曜日

京都市上京区|新島襄旧邸(にいじまじょうきゅうてい)

新島襄旧邸(にいじまじょうきゅうてい)

名 称:新島襄旧邸(にいじまじょうきゅうてい)

明治11年に建設された新島襄の私邸。

同志社教員で医師・宣教師でもあったW.テイラーの助言を

得ながら、新島襄が設計したとも伝えられている

和洋折衷の木造二階建て住宅です。

書斎と応接間は今も襄が住んでいた頃の面影を残している。

昭和60年に京都市指定有形文化財に指定されました。

2014年3月6日木曜日

京都市上京区|菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ)

菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ)

名 称:菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ)

菅原院天満宮神社は、京都市上京区にある寺院です。

菅原氏の邸宅があったところで、菅原道真一族が祀られる。

道真生誕の地と伝えられ産湯を使ったといわれる井戸もある。

道真没後、その菩提を弔うために菅原院の地に歓喜光寺が

建立され、境内には道真と父祖の小祠が祀られ現在に至っています。

2014年3月4日火曜日

京都市上京区|瑞春院(ずいしゅんいん)

瑞春院(ずいしゅんいん)

名 称:瑞春院(ずいしゅんいん)

瑞春院は、京都市上京区にある寺院です。

京都御苑の北、相国寺の塔頭寺院。

本尊は阿弥陀三尊。

雁の屏風、枯山水庭園、池泉観賞式庭園、水琴窟など

見所は多いが普段は非公開。参拝には予約が必要です。

水上勉の『雁の寺』の舞台である。

2014年3月3日月曜日

京都市上京区|慈照院(じしょういん)

慈照院(じしょういん)

名 称:慈照院(じしょういん)

慈照院は、京都市上京区にある寺院です。

相国寺の塔頭。宮家の学問所として使用されてきた。

客殿、書院、茶室があり、皇室縁りの品々、

朝鮮通信使書画並びに足利義政公遺品等重要文化財も数ある。

本尊、十一面観世音菩薩。

2014年3月2日日曜日

京都市上京区|相国寺(しょうこくじ)

相国寺(しょうこくじ)


相国寺(しょうこくじ)は、日本の禅寺です。

京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺である。

山号を萬年山と称し、正式名称を萬年山相國承天禅寺という。

本尊は釈迦如来、開基は足利義満、開山は夢窓疎石である。

足利将軍家や伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺であり、

京都五山の第2位に列せられている。

相国寺は五山文学の中心地であり、

画僧の周文や雪舟は相国寺の出身である。

また、京都の観光名所として著名な鹿苑寺、慈照寺は、

相国寺の山外塔頭である。

2014年3月1日土曜日

京都市上京区|阿弥陀寺(あみだじ)

阿弥陀寺(あみだじ)


阿弥陀寺は、京都市上京区にある寺院です。

浄土宗。本尊は阿弥陀如来。

本尊の脇には織田信長、信忠父子の像がある。

天文年間、

信長の帰依を受けた僧・清玉上人が近江国坂本に創建。

信長の入洛に際し現在地に移し、永祿年間に落成したという。

天正10年6月2日の本能寺の変では信長父子の骨灰を

密かに集めこの寺に葬ったと伝えられ、

境内には信長父子および森蘭丸ら諸臣120名余りの墓がある。


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